宗像・沖ノ島関連遺産群の神秘
“神宿る島”と呼ばれる沖ノ島。島に住人はなく、神職が一人で奉仕している。 女人禁制、上陸時の海中での禊、一木一草一石たりとも持ち出してはならないという厳しい禁忌に守られた島。一般の立ち入りが許されていない神秘の島と古代から受け継がれてきた信仰の痕跡に光を照らした作品集。 (2017年 宗像・沖ノ島関連遺産群はユネスコ世界遺産に登録)
沖ノ島
神宿る島
島全体がご神体として一般人の立ち入りが禁じられている。宗像三宮の一つ沖津宮(おきつみや)が祀られており、神職が一人ずつ10日交代でお仕えしている。もし、上陸が許された際は必ず海で禊をしなければならない。 日本固有の自然崇拝の形がほぼ手つかずの状態で現在に継承されており、23ヶ所の祭祀遺跡が確認されている。2017年にユネスコの世界遺産に登録される前の年に撮影。
島の裏側から撮影。大きな岩壁の上に原始林が茂っている。
飛び石
沖津宮への参道には大小の飛び石が規則正しく置かれている。
沖津宮
沖津宮の社殿内から撮影。周りは巨石と原生林に囲まれている
沖津宮:背面
社殿は大きな岩の間で樹木に囲まれてひっそりと鎮まっている。島全体が沖津宮の境内であり神域である。
岩陰祭祀跡 5世紀後半〜7世紀
沖ノ島に遺されている古代祭祀跡の一つ。巨大な岩陰を斎場としており、自然との繋がりがより濃厚に感じられる。
巨石
沖津宮への参道周辺にも巨石が原始のままの姿で残っている。
巨石の間
島の至るところに自然のパワーが秘められている。
岩上祭祀跡 4世紀後半〜5世紀
最も古い祭祀の形。岩上に斎場が設けられ、大石が神霊を招く依り代となっている。
古代祭祀の奉献品等
斎場やその周辺のいたるところに奉献品が散らばっている。古来の禁忌が守られている証。
古代祭祀の奉献品
古来の禁忌が厳重に守られている島には、手つかずの奉献品が遺されている。
耳石
気が遠くなるほどの年月の浸食により耳の形になった石。
原生林
沖ノ島の大半は原生林に覆われ、樹木の根が四方八方に広がっている。島には一本一草一石たりとも持ち出すことを禁じる掟があり、現在も厳重に守られている。
出土神宝 金銅製龍頭(国宝)
祭礼時に旗や笠を下げる竿先部分に用いられた飾り。 沖ノ島では昭和29年から3度の調査が行なわれ、8万点に及ぶ神宝類が発掘された。出土神宝は全て国宝に指定されている。
中津宮とご神木
宗像三女神の一柱・湍津姫神(たぎつひめのかみ)をお祀りする中津宮は、宗像本土より沖合10キロにある大島に鎮座している。手前の銀杏は樹齢凡そ400年のご神木。
大島
鳥居
漁で2度命を失いかけたところを救われたという漁師が恩返しに作っている(奉納した?)独特の形をした鳥居。
沖津宮遙拝所
大島の北側に立つ沖津宮の遥拝所。沖の島は渡島が許されないため、拝殿の役割を果たしている。
沖津宮遥拝所社殿内
天気の良い日は玄界灘の遥か向こうに沖ノ島が見える。
大島祇園山笠
起源は江戸時代まで遡ると言われている。各地区別に大人の山車が出され海に突進する。疫病退散(無病息災)や大漁を祈願する。
辺津宮(総社)
春季大祭 主基地方風俗舞
昭和天皇即位の時に特別に下賜された舞。神勅により、皇室と宗像大社は古より深い縁がある。
注連縄
注連縄は釣り糸で結えられている。
辺津宮境内
神門を潜った正面に拝殿、その奥は市杵島姫が鎮まるご本殿。門には宗像大社の表紋である菊の御紋があしらわれている。
高宮斎場
境内の奥に位置する高宮祭場は社殿のない古代祭祀の形を今に遺し(伝え)ている。市杵島姫神降臨の地とされている。
月次祭 高宮斎場
古代祭祀の形を今に残す高宮祭場(たかみやさいじょう)では、毎月1日と15日に祭事が執り行われ、献饌と祝詞が奏上される。
玉串
玉串は神前にお供えするものとして神饌(しんせん/米、酒、魚、野菜、果物、塩、水等)と同じ意味があると考えられている。
新原・奴山古墳群
5〜6世紀にかけて築かれた古墳群。当時海を越えた交流に従事し、沖ノ島の祭祀を担った古代豪族の宗像氏が眠っている。ユネスコ世界遺産の構成資産の一つ。