“奇跡の光”により、増浦自身が長い間囚われていたカオスから抜け出した作品集。
「真の芸術作品は、ひっそりと大理石の中に潜んでいる。芸術家は無心で、ただ叡智に導かれるままにノミを振るい、石の中からその作品を取り出すだけだ」ミケランジェロの言葉である。増浦が撮影したのも、あるがままのミケランジェロの作品だった。技巧を凝らすことなく、ただ自然光の中でレンズを向けた。その先に現れたのが『GENESIS』である。
光の奇跡 I「私は光です」
この作品なくして『GENESIS』は語れない。灯りを消した教会の闇に突然射した一条の光。それはキリスト像の右手に現れ、ゆっくりと顔に移る。最後にいっそう輝きを増して後光のように像を浮かび上がらせた。その間凡そ10分。溢れ出る涙も構わず夢中でシャッターを切っていた。この法悦の一瞬を見守っていた司祭が「あなた達の為だけに訪れた光。その光によりてあなた達が祝福されてありますように」と祈ってくれた。
光の奇跡 VI「私についてきなさい」
天井の破れた薔薇窓からキリストの頭上に突然射した光。この光が第2(光の顔)、第3(ゴルゴダ)の奇跡へと導いた。
光の顔 II
二つ目の奇跡はローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会でモーゼ像の撮影をしていた時のこと。この像は、教会の奥まった所に置かれているので光源は殆ど無い。ところが、いざカメラを構えるとモーゼの顔が光り出した。西日が教会の床に当たり反射した光が像の顔を輝かせていたのだ。旧約聖書には、モーゼが主と話し、十戒の記された2枚の石板を持ってシナイ山から降りて来た時、その顔が光っていた、と記されている。この符合に驚きを隠せない。
ゴルゴダIV「十字架の奇跡」
三つ目の奇跡。それは暗室で現れた。撮影時には見えなかった影が、現像の最中、キリストの両脇に浮かび上がったのだ。聖書ではキリストの磔刑の時、二人の罪人も同時に処刑されたとある。伝承そのままの構図に暫くの間鳥肌が消えなかった。この像は、ミケランジェロ唯一の木製の作品とされており、フィレンツェのサント・スピリト教会に置かれている。カーサ・ブオナローティにも木彫りの習作らしきものがあり、同様にキリストの磔刑を題材としているが、まだ形は明瞭ではない。
鏡
バルジェロ美術館に展示されている聖母子像のレリーフ。正面に防御ガラスがあるので、側面からレンズを向けた。マリアの横顔のなんと美しく儚げなことか。そしてガラス面に映った横顔は同じ顔であるはずなのに別の表情(強さ)が現れている。どちらが本当の姿か・・・
バルジェロのマドンナ
「鏡」と同じレリーフを正面から撮影。幼いキリストは母に抱かれて安らかに微睡んでいる。
ローマ市民 III
バルジェロ美術館に所蔵されている「ブルータス」の胸像。ジュリアス・シーザー失脚の首謀者である、ローマ人の政治家の裏切りを題材に掘られている。モデルはロレンツィーノ・デ・メディチ。暴君と言われた遠戚のアレッサンドロ暗殺によりブルータスに喩えられた。
天使のいる部屋
ボローニャのサン・ドメニコ教会に置かれている「ノアの方舟」を飾る天使の燭台。向かって右側がミケランジェロの作品。
天使V
「ノアの方舟」の天使。
バッカス I
フィレンツェの国立バルジェロ美術館所蔵のローマ神話に登場するお酒(ワイン)の神。大理石とは思えない柔らかな皮膚感だが、ふくよかな身体はお酒を飲みすぎて太ったバッカスを表しているらしい。
バッカスの手
フレンツェのカーサ・ブオナローティ(ミケランジェロ美術館)での個展で案内状に使われた作品。館長から “バッカスの彫像がこんなに美しい手をしていたとは気付かなかった”と感動された。
バッカス II
ローマ神話に登場するお酒(ワイン)の神。フィレンツェの国立バルジェロ美術館に展示されている。自然光の中で撮影したバッカスは、柔らかな光彩に包まれ、柔和なラインが表現された。
夜の顔
フィレンツェで栄華を誇ったメディチ家の菩提寺であるサン・ロレンツォ教会にミケランジェロが聖具室の彫刻を依頼されたメディチ家礼拝堂がある。施された彫刻は、老若男女の二人組で「昼」と「夜」、「曙」と「黄昏」とそれぞれ呼ばれている。「夜」の女性は、中年を過ぎ、身体のラインも崩れているが、表情は優しく安らぎが感じられる。人の一生を1日に置き換え、それらを象徴する彫刻の豊かさとその表情が面白くてレンズを向けた。
あけぼのの顔 I
『夜の顔』と対をなす作品。「曙」は、その名が表すように若い女性の像で、身体のラインも美しく艶かしいポーズをとっているがその表情は悩ましい。
祈り I
メディチ家礼拝堂のロレンツォ豪華王とその弟ジュリアーノ・ディ・メディチの墓標。真ん中に聖母子像、左右に聖人を配した3体の彫刻で構成されているが、左右の聖人はミケランジェロの弟子の作。聖母マリアと幼子(イエス)をテーマにした像は多くの芸術家が題材としており、ミケランジェロも例外ではない。片手で我が子を抱くマリアの表情は限りなく優しくて哀しい。
つながれたもの II
ルーブル美術館に展示されている「瀕死の奴隷」。奴隷の顔は、穏やかで眠っているように見える。実は、唯一の解放である“死”という永遠の眠りにつこうとしているのだ。奴隷にとって死は苦しみではなく、漸く訪れた安らぎなのかもしれない。
神の手
アカデミア美術館に展示されているダビデ像の手。その力強さに思わずレンズを向けた。“神の手”と言われたミケランジェロが創造したダビデは指の先まで凛として美しい。“まるで皮膚の下に暖かい血が通っているようだ・・・” かつて詩人の松永伍一氏(故人)がこの作品(写真)を見て言われた。
フィレンツェのダビデ
ダビデ像は、ヴァチカンのピエタと並んでミケランジェロの最高傑作の一つ。それだけに観覧者も多く、撮影は必然と夜間になる。月明かりもない真っ暗な夜に蝋燭を1本だけ灯して撮影した。ミケランジェロも夜は蝋燭の灯りを頼りに製作したのだろうと思いを馳せながら・・・。蝋燭の灯りが作る陰影は、当時フィレンツェ共和国の守護神として作られたダビデ像の力強さを強調するものとなった。影はメディチ家の支配を表し、ダビデの輝ける肉体は、それを跳ね返す自由と民主の象徴である。
物思い I
ダビデとも芸術神アポロとも呼ばれている彫像。国立バルジェロ美術館に展示されている。ダビデとしても「フィレンツェのダビデ」とは全く違う作品だ。憂いを帯びた表情は、ミケランジェロの親友を処刑した敵の司令官の依頼で作られたからか。
物思い II
物思い Iと同じダビデ(もしくはアポロ)像。